小学生の女の子であるかのこちゃんと、猫のマドレーヌが主人公の小説。読みやすかったしそれなりに面白かった。しかし・・・残念ながら個人的にはあまりはまらなかった。
かのこちゃんは、小学一年生の女の子。家では年老いた柴犬の玄三郎と、猫のマドレーヌを飼っている。もともとは玄三郎だけを飼っていたのだが、あるゲリラ豪雨の日、突然玄三郎の犬小屋の中にマドレーヌが居たのである。
実は猫たちは、全て人間の言葉を理解することができた。そして猫同士は会話をすることができた。しかし、マドレーヌは一つだけ他の猫にはできないことができた。それは犬と会話することができたのである。といっても会話ができるのはただ一匹、玄三郎だけであった。そしてマドレーヌと玄三郎は夫婦であった。
万城目学さんの小説を読むのはこれで五冊目だが、これまで読んできた関西×歴史×ファンタジー×青春のごたまぜエンターテイメントものとは少し毛色が異なり、児童書のような作品である。
本書の一番の魅力は、主人公のかのこちゃんや、その友達のすずちゃんの子供描写だと思う。なんというか子供に特有の「わけのわからないパワー」が見事に表現されているのである。
一つ例を挙げると、夏休み終了の四日前。宿題が終わっていないかのこちゃんは、こっそりと算数のドリルの解答編を見ようとするが、かのこちゃんがズルすることを予期したお母さんはすでにそれを抜き取っていた。その時のかのこちゃんのとった行動を引用する。
かのこちゃんのズルを予期したお母さんが、とっくの昔に「解答編」を抜き取ってしまっていたのだ。かのこちゃんは声にならぬうめきを漏らしながら、畳に背中から倒れこんだ。しばらくして、かのこちゃんは両手を耳の横に、足をしっかり踏ん張り、ブリッジの姿勢で身体を起こした。
上下が逆さまになった視界の真ん中に、いつの間にか縁側にやってきたマドレーヌの姿が見えた。
大人になると、ブリッジというのはレスラーでもない限りなかなかやる機会がないが、そういえば子供のころはよくやっていたなぁと思いだした。説明のつかない無意味な行動を、万城目さんは的確にとらえていると思った。
あと、かのこちゃんが、お父さんが読んでる本の影響で妙に難しい言葉を使うのが面白い。小学一年生のかのこちゃんが、友達のすずちゃんに「わたしたちはふんけー(刎頚)の友だ」などと言ったりするのである。このあたりのおかしみが、本書の最大の魅力になっていると思う。
ただ、残念なのが猫のマドレーヌのパートである。これは本当に個人的な好みの話なのだが、私は猫がしゃべる創作物が、小説でも映画でもなんでも、あまり好きになれないことが多い。
私は長年猫を飼っていたこともあり(今は飼っていないけど)、彼らの行動の意味不明さは理解しているつもりである。人間とは全く違う感性と原理で行動しているけど、たまに好意らしきものを示してくれて、交流ができる。そこが不思議でかわいい。そして、彼らの行動で我々でも理解できそうなのは「ご飯くれ」とか「なでろ」とか「遊べ」とか「ドアを開けろ」といったシンプルな要求であって、人間と同じ考え方をするとは全く思えないのである。
さて、本書のマドレーヌは人間と直接会話はしないものの、人間の言葉を理解する。そして、他の猫とも人間の言葉で会話をする。これがいかにも猫らしい感じであったらよかったのだが、残念ながら私には、マドレーヌの行動は人間としか思えなかった。そこがどうしても入り込めないのであった。
まあ、猫同士が集まって上品に「ごきげんよう」などと言っているのはなかなか面白いのだけれども。しゃべるにしても、もう少し猫らしかったらなー、と残念に思う。
↓よかったらクリックお願いいたします。
