課長風月

疲れたサラリーマンの憩いのひと時

読書「恋する殺人者」倉知淳

倉知淳さんのミステリー。短くて字も大きいので、中高生向けの作品かな?なんて思っていたけど、なかなかの驚愕展開。ミステリランキングとかには入っていないけど、個人的には傑作じゃないかと思っている。

 

 

2回連続の倉知さんである。なんでこんなに倉知さんの本ばっかり読んでいるかというと、うちの奥様がどんどん図書館で借りてくるからなのである。まあ、私は私で最近は仕事が忙しかったこともあり、歴史小説とかSF大作みたいな歯ごたえのある小説を読む気分じゃなかった。倉知さんの作品はサービス精神満点の娯楽小説なので、こういう時にぴったりなのであった。働いているとなぜ本が読めなくなるのか、と疑問をお持ちの方々に、いや、倉知淳なら働いていても読めるぞよ、と言ってあげたい。

 

本書は、2023年発行。

 

語り手は二人。大学生の男の子と、彼に恋する女の子。男の子の方は、子供の頃から姉のように慕っていた従妹の死亡事故に疑問を持ち、調べている。そして女の子の方は、その従妹を殺した殺人犯である。シスコンならぬイトコン(従妹コンプレックス)の彼との仲を進展させるためには殺すしかないでしょ、という極めて軽いノリで殺人を犯す相当にヤバイ奴である。彼らの独白が交互に続く形で、真相を知りたい男の子と、知られたくない女の子の攻防が描かれる。

 

犯人の一人称パートがあることから、手口はあらかじめ開示されているし、あとはことの成り行きを見守るだけかな・・・と思っていると、あれよあれよと、とんでもないことになるのであった。

 

まあ、ちょっとクレイジーな登場人物がでてくるけど、そういうの嫌でなければおすすめの作品です。

読書「猫の耳に甘い唄を」倉知淳

倉知淳さんの長編ミステリー。趣向を凝らした仕掛けが楽しめる、倉知さんらしい作品であった。面白かった。

 

倉知淳さんは最近のお気に入り作家で、我が家でちょっとしたブームになっている。作品を読むのはこれで五作目だが、フェアとアンフェアのギリギリをつくような、大胆な仕掛けが多くていつも楽しませてもらっている。それでいて、物語はユーモアに満ちていて気軽に読める。読者を楽しませようというサービス精神のかたまりのような作風なのである。

 

本書は、2024年の作品。

 

主人公は、冷泉彰成(れいぜんあきなり)。職業はミステリー作家である。プロとして15年活動しているが、「知名度なし、代表作なし、人気なし、増刷することなし」の四流作家を自称している。そんな冷泉の元に、ある日読者から二通のファンレターが届けられる。一通は若い女性の本物のファンからと思われるもの。もう一通は、冷泉の「真の理解者」を自称する怪しげなもの。そこには、「冷泉の思想を知りもしない癖に愛読者を名乗る女」を殺したことを匂わせる、不穏な文面が並んでいた。ただの悪戯か何かと思って黙殺する冷泉であったが、ある日冷泉の元に警察が訪れる。そして、冷泉にファンレターを送った女性が殺されたことが知らされるのである。

 

序盤は作家の自虐?ネタで結構笑わせられる。倉知さん自身はミステリランキングの常連だし、充分に一流作家だと思うのだけれど、駆け出しの時の記憶なのか、妙にリアルなんである。特に、四流作家としての仕事術というか、業界で生き残るためのサバイバル術みたいのが、逆説的で面白い(読者を見るな、編集者を見ろ、みたいな)

 

そんな感じで文章が面白いのでするする読めるのだが、やはり本書の醍醐味は何といっても本筋の仕掛けの方である。正直登場人物がそんなにいないので、犯人になりそうな人物は限られる。それでも驚かされるのだから、やっぱり手練れだなと思うのである。

読書「オー・ヘンリー傑作選」大津栄一郎訳

「賢者の贈り物」「最後の一葉」で有名なオー・ヘンリーの短編集。初めてまともに読んだけど、意外と皮肉が効いたユーモアのある話が多く、自分好みであった。

 

 

本と全く関係ない話で恐縮だが、ここしばらく仕事がとにかく忙しくなってしまい、1か月ぶりのブログ更新となってしまった。元々アクセスの少ないブログなので、どなたかにご心配をおかけしている、などと考えるのは自意識過剰に過ぎないことは重々承知しているけれども、まあ、もしかすると多少は気にかけてくださる方がいないとも言い切れないしー、と思って一応近況を報告してみようと思ったのである。疲れてるけど元気です。

 

さて、本書は、短編の名手オー・ヘンリーの、「272篇の全短編の中から傑作20編をえらんだ」もの。本国で一冊の本としてまとまっていたものを翻訳したのではなく、日本で独自に編集されたものだろうか。明確にそう書かれているわけではないので推測である。なんでこれを読もうと思ったかと言えば、津村記久子さんの「やりなおし世界文学」で紹介されていたからである。

karaage365.hatenablog.jp

「最後の一葉」は、話の筋はなんとなく知っている。でもオリジナルは読んだことがなく、昔テレビで見たパロディコントを通して間接的に知っているだけである。

 

難病に苦しめられている女性が、病室の窓から見える木の葉の数を数え、最後の一葉が散った時に自分も死ぬのだと言う。しかし、嵐を経てもその一葉は落ちず、いつしか女性は勇気づけられて病気も回復する。しかしその最後の一葉は、知り合いの絵描きが嵐の中で壁に描いたものだった。絵描きはその時の無理がたたり、肺炎で死んでしまう、という話である。

 

今回初めてまともに読んでみて、話の骨格は思っていた通りだったのだが、意外だったのがこの絵描きの人となりであった。以下に引用する。

 

ベールマン老人は階下の地階に住んでいる絵描きだった。(略)ベールマンは芸術の落伍者だった。四十年間絵筆を振り回しながら、ミューズの女神の裳裾に手のとどくところまでも近づけなかった。口癖のように傑作を書くのだと言っていたが、まだ着手さえしていなかった。(略)ときどきは、プロのモデルを雇えない芸術家村の若い絵描きたちのモデルになって、わずかばかりの金を稼いだ。そしてあびるほどジンを飲み、いまでもいつか傑作を描くのだと広言していた。

 

こういう人だったのか・・・。友人のためなら、命を投げ出してもよいと考えるような、自己犠牲の精神をもった聖人とはあまり思えないのだった。

 

12ページしかなく、とても短い作品である。ベールマン老人が、いったいどういう考えでこのような行動を起こすのに至ったのか、その内面は一切示されない。なので、色々なことを想像してしまう。もちろん、動機は病気の若い娘を勇気づけることだったろうが、自分が死んでしまうことまでは考えていなかったと思う。もしも病気が直ったら、種明かしするところまで考えていたんじゃないか。どうじゃ!わしの傑作じゃ!とか。そうして、若い娘たちの尊敬を得たかったんじゃないだろうか、とか。

まあ、行間が書かれていない以上、正解というものはないだろうけど、そんな風に読んでいたら少々切なくなってきた。津村さんの「やりなおし世界文学」では、オー・ヘンリーについてとにかく「うまい」と書かれていた。書きすぎずに効果を出す、というところがうまいということなのかな、と自分なりに思ったのである。

 

「最後の一葉」だけで長くなってしまったが、他も面白い作品がいっぱいあった。「警官と讃美歌」「忙しい株式仲買人のロマンス」「古パン」あたりがお気に入り。

読書「水車館の殺人」綾辻行人

綾辻行人さんの館シリーズ二作目。不気味で巨大な水車を備えた館でおこる悲劇。終始不穏な雰囲気に浸れる、面白いミステリーであった。

前作「十角館の殺人」と同様、この作品も確か高校生か大学生くらいの頃に読んだはずだが綺麗さっぱり忘れていた。覚えていたのは探偵役の島田潔が一日一本だけ、とっておきの煙草を吸うシーンのみ。

 

本書の舞台は「水車館」。ヨーロッパの古城を思わせるこの館には、三つの巨大な水車が備えられている。そこに住むのは、四十代の主人・藤沼紀一と、年の離れた若妻・由里絵。そして執事と家政婦の四人である。紀一は、「幻視者」の異名を持つ偉大な画家・藤沼一成の息子である。過去の不幸な自動車事故により顔は焼け爛れ、足を失い仮面を付けた車椅子生活を強いられている。妻の由里絵は、九歳の頃に主人に引き取られて、一切下界との接触を絶ったまま成人し、紀一の妻となった。

ほとんど外部とのつながりがない夫婦であったが、一年に一度、父・一成の作品を少人数の愛好家に限定公開する日を設けている。

一年前の一九八五年九月二十八日から二十九日にかけてがこの公開日にあたり、五人の客人が訪れていた。しかしこの時、二人の男女の死亡事件と、一人の男の失踪事件が発生する。物語はこの日の出来事と、その一年後、再び屋敷に集結した面々の一日が交互に描かれる。

 

前作の「十角館の殺人」は主要登場人物たちが館に遊びに来たミステリマニアの大学生ということもあり、現代的な作品ではあった。しかし、本書はまさに、コテコテの古典ミステリ的な舞台設定。メタな視点を挟まずに、作者が自分の好きな世界観にどっぷり浸って描いたのではないかと思わせる。

 

執事も家政婦も、庶民には現実感のない絵空事なだけにリアリティを持たせるのは難しいと思うが、本書は一切コスプレ感なく読み進められた。藤沼紀一と妻・由里絵の不健全な関係、どこか屈折を感じさせる登場人物たち、そして嵐の夜に不気味な音を立てて動き続ける巨大な三連水車。単なる謎解き物語以上の不気味で不穏当な味付けが上手いからだと思う。

 

真相の衝撃度でいうと、「十角館の殺人」の方が強かったとは思う。しかし、本書の真相もまた意外なもので、緻密に組み上げられた仕掛けは、真相を知ったあとの二度読みの楽しさを与えてくれる。登場人物の年齢層が上がったのと同様に、じっくり読める大人のミステリーという感じがするのである。

 

次の迷路館も図書館で予約済み。昔の作品で1作目でもないのに順番待ち。人気なんだな。

 

読書「死体で遊ぶな大人たち」倉知淳

倉知淳さんによる短編ミステリー四本。2024年発行。遊び心に満ちた、面白い作品集であった。

 

倉知淳さんは、最近のうちの奥様の一推し作家。図書館で次々借りてくるものだから私も一緒に読んでいる。前回読んだ「星降り山荘の殺人」は30年前の作品だったが、本作は一昨年の作品。作品の時代背景こそ違うものの、底にある味わいはやはり倉知さんのもの。緻密な本格推理にユーモアをちりばめた、完全無欠の娯楽作品なのである。

 

1本目「本格・オブ・ザ・リビングデット」は冒頭から洒落っ気満点である。

 本作は某人気作家の某ベストセラー作品と状況設定に類似したところがありますが、 内容はまったくの別物です。従って、某ベストセラー作品のトリック、真相、犯人等には一切言及しておりません。どなた様も安心してお読みになれます。

 この設定を用いるに当たって、某人気作家の先生から許可をいただきました。某先生、ありがとうございました。(某ベストセラー作品のネタバレ防止のため作者名と作品名を挙げることが出来ません。ご了承ください)

 

私もこの某ベストセラー作品は読んでいるのですぐにピンと来た。倉知さんと某人気作家さん(倉知さんから見ると結構年下のはず)のつながりを想像してにんまりさせられる。ただ、よく考えると結局タイトルも名前も伏せられているので、某ベストセラー作品の宣伝には全く役立たっていないのであった。

 

2本目「三人の戸惑う犯人候補者たち」は、新宿都庁裏手のプレハブ小屋にひっそりと設けられた「違法行為等諸問題に関する相談所」が舞台。犯罪発生率の抑制を目的に、都民が自由に懺悔できる(ただ、解決はしない)場を設けたところ、殺人を犯してしまったかもしれないという相談が、1日に3件立て続けに発生するという突飛な作品である。謎自体も興味深いが、「違法行為等諸問題に関する相談所」が産まれたしょうもない経緯や、そこで仕方なく働く人の心境などなんかいかにもありそうで笑えるのだった。

 

3本目の「それを情死と呼ぶべきか」は、定年退職した新聞記者が若手時代に担当した心中事件の謎解きを、現代の若者が運営している動画チャンネルで語り、視聴者に解決を呼びかけるという作品である。昭和感満載の回想シーン(小指を立てて愛人を表現するとか笑)と、動画制作時のキャラ作りのような、今時の世界観が同時に楽しめる。

 

最後の「死体で遊ぶな大人たち」は、人けのない奥多摩の川べりで、腕がない状態で発見された男性の死体に別の女性の腕がつけられた状態で発見されるというなんとも猟奇的な事件を扱ったもの。ネットでも当然大推理大会が行われるが、すぐに忘れられる。そしてこの事件を、アジア放浪の旅から帰ってきたばかりの無職の一般人がバーで飲みながらあっさり解決するという、世相を皮肉ったような作品である。でも、謎解きは鮮やか。ちなみに、私は全然知らなかったけれども「死体と遊ぶな子供たち」という昔のホラー映画が作品タイトルの元ネタのようだ。

 

どの作品も本格推理ものの枠組みは崩さないまま、一捻り加えてバラエティ豊かな短編集となっている。バラバラの作品群かと思いきや最後につながるちょっとしたお楽しみも含め、最後までサービス精神溢れた作品だった。

 

↓よかったらクリックお願いいたします。

読書「最後の将軍」司馬遼太郎

第十五代将軍・徳川慶喜が主人公となる、司馬遼太郎さんの歴史小説。何かと不可解な行動の多い徳川慶喜の人となりを納得感ある形で描いており、とても面白かった。

 

徳川慶喜は大政奉還により徳川の世を終わらせたことで、教科書にも載っている有名な人である。徳川の歴代将軍の中の知名度でいったら、おそらく2~5番手くらいではないだろうか。(一位は断然家康として、秀忠、家光、綱吉、吉宗、慶喜あたりで2番手争いをしているイメージである)

 

そんな慶喜ではあるが、私が最近読んだ幕末関連の小説や読み物では、あまり好い描かれ方をしていないことが多い。印象的なのは、戊辰戦争の時に、旧幕府方であった会津藩、桑名藩を見捨ててこっそり江戸に帰ってしまったエピソードである。これは、薩摩の挑発に乗って新政府軍と戦ってしまうと、朝敵として徳川家の存亡も危うくなるための策だったようだが、下のものからすると、なんとも奉公しがいのないリーダーではあると思う。このあたりのことが、小説ではどのように描かれているのか?といったところに興味を持って読み進めた。

 

本書は、慶喜の産まれから、大正二年に亡くなるまでの一生涯を描いている。慶喜は、もともとは水戸藩の藩主斉昭の七男である。当時の水戸藩は、徳川御三家の一つでありながら、過激な尊王攘夷思想の本山で、徳川幕府にとっては危険分子と呼べる存在であった。幼少期から何事においても優れた才を発揮していた慶喜は、幕府で実権を握ろうと画策する斉昭により、将来の将軍候補として一橋家の養子となる。そんなわけで慶喜は、幕府の内部や大奥の間からは、徳川家の乗っ取りを警戒されて人気がない。一方で、水戸藩出身であることから、当時欧米列強の脅威にさらされ、尊王攘夷思想にかぶれる志士たちからは、その優れた才から「日本を救う英雄となるであろうお方」と、やたら偶像視されてしまい、将軍就任待望論が常に出ている。本書での慶喜は、そんな状況について「周りが勝手に騒いでいること」と、どこか他人事のような目で見ている。実際、欧米列強との軍事力の差から攘夷などできるはずもないと開国派としての考えを持ち、豚肉や洋装を好んでいたようである。しかし、下手に自分の考えを漏らしてしまうと過激派たちの天誅にさらされるこの時代、立場的に自由に思想を発現するわけにもいかないのである。

 

また慶喜は、何をやらせても人並み以上に出来てしまう才能があったため、あまり他人のことを信用せず、なんでも自分でやらないと気が済まないタイプであったと本書では語られている。弁が立つため、議論をさせては敵うものもなく、何回かそれで強引に自説を通すということをしている。また、非常に理性的で政治的な判断をする人で、危うい立ち位置に晒されても奇策を打って切り抜ける。幕府が朝廷から攘夷断行の約束をさせられてしまった時、実際外国勢と戦ってしまっては負ける可能性が高く、かといってやらなければ朝命に背くことになる。そんな時、仮病を使って将軍後見職を降りてしまい、放り投げてしまうということも平気でやる。そんなこんなで、非常に優秀ではあるものの、あまり人望は得られないだろうなぁという感じの人なのである。

 

そんな慶喜が、徳川宗家を継ぐことを断り続けた挙句、ついに受けることになった時の描写がことさら印象に残った。

慶喜も、この瞬間の自分を予期していなかった。声を発しようにも咽喉がつまり、声帯が動かなかった。この感動は、どうしたことであろう。将軍ではないとはいえ、徳川宗家を継ぎ、十五代目の当主になった。

(略)

それも、かならずしも慶喜の理屈いうような、暗い陰鬱な荷重ではない。それどころか、その反応するところは意外にも、慶喜の内部から喜悦をよびさます底の、そういう明色を帯びていた。慶喜は当惑した。このまま口をひらけば叫びだしそうなそういう衝動がふつふつとおこっている。慶喜は、そのえたいの知れぬものを懸命に噛み殺さねばならなかった。

ようするに、めっちゃ嬉しかったのである。でも理性的な政治家である慶喜は、それを表に出すわけにはいかなかった。そして彼はこの後、この嬉しさの開放先として「長州征伐」という彼には似つかわしくない英雄的な行動に出るのである。

しかし、この戦いはわずか六日で引っ込められてしまう。前線で戦っている部隊から、戦況不利の知らせを受けて、あっという間に覆してしまったのである。

これはバツが悪いだろうなあと思いつつ、こういう時にメンツをかけて泥沼の戦いに突入したりしないのが慶喜の理性的なところなのかもしれない。でも、やる気になっていた下の者から見るとなんじゃそら、ていう感じだろうな。

 

このあたりの心理描写のようなものはおそらく作者の想像だと思うけど、それが長州征伐の歴史的事実に説得力を持たせていて、やはり良く出来た小説だなと思った。

 

 

↓よかったらクリックお願いいたします

読書「星降り山荘の殺人」倉知 淳

倉知淳さんの本格クローズドサークルミステリー。いやー、きれいに騙された。面白かったなぁ。

 

倉知淳さんは、最近のうちの奥様のお気に入り作家である。アンソロジー作品でそのお名前を知り、「シュークリームパニック」で完全に心をつかまれた。その後、私が別の作家のSF作品などで苦戦している間に「星降り山荘の殺人」「日曜の夜は出たくない」「死体で遊ぶな大人たち」と立て続けに作品を読んでは「ははははは」「え~!?」「やられたー!」などと独り言をつぶやいているのであった。なんだかわからないが、心底楽しんでいることはわかる。そして私も奥様に遅れること1か月、倉知さんの代表作の一つである本書を手に取ったのであった。96年発刊なので、ちょうど30年前の作品である。

 

主人公は、杉下和夫27歳。広告代理店に勤める若手サラリーマンである。嫌味な上司が後輩をネチネチ詰める様に激昂して上司を突き飛ばしてしまった、熱い男である。そのせいで広告制作の現場から異動となり、タレント文化人のマネージャーに任命される。そのタレント文化人こそが星園詩郎31歳。スターウォッチャーを自称する彼は、甘いマスクと、夜空の星に関するロマンチックな解説で世の女性たちを虜にしている。どちらかというと質実剛健タイプの和夫にとって、歯の浮くような台詞で女性人気を集める星園は眉をひそめざるを得ない存在であった。

 

和夫のマネージャーとしての最初の仕事は、星園と一緒に秩父にある山荘を訪れることだった。山荘を所有する不動産開発会社社長の依頼によるもので、女性人気の高い星園に集客のアイデアを出してほしいという。山荘に集まったのは、星園と和夫を除いて7人。不動産会社社長とその部下。若い女性に人気のある女流作家とそのマネージャー。UFO研究家。そして社長の個人的?つながりで訪れた女子大生二人。そこで最初の一晩を過ごした後、この社長が殺されているのが発見される。星園の振る舞いがあくまで演技であることを告白された和夫は彼を信頼し、二人で捜査を始めるのである。

 

形式としては古典的なクローズド・サークルミステリーなのだが、各章の冒頭に作者から一風変わったメッセージが挿入される。

 

まず本編の主人公が登場する

主人公は語り手でありいわばワトソン役

つまり全ての情報を読者と共有する立場であり

事件の犯人ではあり得ない

 

あらかじめミステリの型通りに進めますよと読者に宣言してしまうのである。こういうのを、メタミステリというのだろうか。読者に取っては親切だが、作者にとってはタネも仕掛もありませんよ、と宣言することになり、ハードルが上がりそうな書き方ではある。ひとまず、フェアなミステリであるという印象を抱くのは間違いない。

 

これまで読んだ倉地さんの作品はどれも笑いの要素が強いものだった。本書はその点やや控えめかもしれない。しかし、星園の歯の浮くような台詞まわしと、彼を取り巻く、頭の軽い女子大生たち。やや狂信的なUFO研究家。そして成り金俗物オヤジなどなど。少々懐かしい感じの世相を切り取った描写は皮肉が効いていて存分に楽しめる。こういう人達、今はいないよなあ。

 

本書の醍醐味はやはり何といっても驚愕のラストなのだが、ネタバレを避けて書くのは難しいので一言だけ。「やられた」という感じである。全部提示されてるのにコロッと騙されるというか。こういうのがミステリを読む醍醐味なんだな。

 

↓よかったらクリックお願いいたします