課長風月

疲れたサラリーマンの憩いのひと時

読書「最後の将軍」司馬遼太郎

第十五代将軍・徳川慶喜が主人公となる、司馬遼太郎さんの歴史小説。何かと不可解な行動の多い徳川慶喜の人となりを納得感ある形で描いており、とても面白かった。

 

徳川慶喜は大政奉還により徳川の世を終わらせたことで、教科書にも載っている有名な人である。徳川の歴代将軍の中の知名度でいったら、おそらく2~5番手くらいではないだろうか。(一位は断然家康として、秀忠、家光、綱吉、吉宗、慶喜あたりで2番手争いをしているイメージである)

 

そんな慶喜ではあるが、私が最近読んだ幕末関連の小説や読み物では、あまり好い描かれ方をしていないことが多い。印象的なのは、戊辰戦争の時に、旧幕府方であった会津藩、桑名藩を見捨ててこっそり江戸に帰ってしまったエピソードである。これは、薩摩の挑発に乗って新政府軍と戦ってしまうと、朝敵として徳川家の存亡も危うくなるための策だったようだが、下のものからすると、なんとも奉公しがいのないリーダーではあると思う。このあたりのことが、小説ではどのように描かれているのか?といったところに興味を持って読み進めた。

 

本書は、慶喜の産まれから、大正二年に亡くなるまでの一生涯を描いている。慶喜は、もともとは水戸藩の藩主斉昭の七男である。当時の水戸藩は、徳川御三家の一つでありながら、過激な尊王攘夷思想の本山で、徳川幕府にとっては危険分子と呼べる存在であった。幼少期から何事においても優れた才を発揮していた慶喜は、幕府で実権を握ろうと画策する斉昭により、将来の将軍候補として一橋家の養子となる。そんなわけで慶喜は、幕府の内部や大奥の間からは、徳川家の乗っ取りを警戒されて人気がない。一方で、水戸藩出身であることから、当時欧米列強の脅威にさらされ、尊王攘夷思想にかぶれる志士たちからは、その優れた才から「日本を救う英雄となるであろうお方」と、やたら偶像視されてしまい、将軍就任待望論が常に出ている。本書での慶喜は、そんな状況について「周りが勝手に騒いでいること」と、どこか他人事のような目で見ている。実際、欧米列強との軍事力の差から攘夷などできるはずもないと開国派としての考えを持ち、豚肉や洋装を好んでいたようである。しかし、下手に自分の考えを漏らしてしまうと過激派たちの天誅にさらされるこの時代、立場的に自由に思想を発現するわけにもいかないのである。

 

また慶喜は、何をやらせても人並み以上に出来てしまう才能があったため、あまり他人のことを信用せず、なんでも自分でやらないと気が済まないタイプであったと本書では語られている。弁が立つため、議論をさせては敵うものもなく、何回かそれで強引に自説を通すということをしている。また、非常に理性的で政治的な判断をする人で、危うい立ち位置に晒されても奇策を打って切り抜ける。幕府が朝廷から攘夷断行の約束をさせられてしまった時、実際外国勢と戦ってしまっては負ける可能性が高く、かといってやらなければ朝命に背くことになる。そんな時、仮病を使って将軍後見職を降りてしまい、放り投げてしまうということも平気でやる。そんなこんなで、非常に優秀ではあるものの、あまり人望は得られないだろうなぁという感じの人なのである。

 

そんな慶喜が、徳川宗家を継ぐことを断り続けた挙句、ついに受けることになった時の描写がことさら印象に残った。

慶喜も、この瞬間の自分を予期していなかった。声を発しようにも咽喉がつまり、声帯が動かなかった。この感動は、どうしたことであろう。将軍ではないとはいえ、徳川宗家を継ぎ、十五代目の当主になった。

(略)

それも、かならずしも慶喜の理屈いうような、暗い陰鬱な荷重ではない。それどころか、その反応するところは意外にも、慶喜の内部から喜悦をよびさます底の、そういう明色を帯びていた。慶喜は当惑した。このまま口をひらけば叫びだしそうなそういう衝動がふつふつとおこっている。慶喜は、そのえたいの知れぬものを懸命に噛み殺さねばならなかった。

ようするに、めっちゃ嬉しかったのである。でも理性的な政治家である慶喜は、それを表に出すわけにはいかなかった。そして彼はこの後、この嬉しさの開放先として「長州征伐」という彼には似つかわしくない英雄的な行動に出るのである。

しかし、この戦いはわずか六日で引っ込められてしまう。前線で戦っている部隊から、戦況不利の知らせを受けて、あっという間に覆してしまったのである。

これはバツが悪いだろうなあと思いつつ、こういう時にメンツをかけて泥沼の戦いに突入したりしないのが慶喜の理性的なところなのかもしれない。でも、やる気になっていた下の者から見るとなんじゃそら、ていう感じだろうな。

 

このあたりの心理描写のようなものはおそらく作者の想像だと思うけど、それが長州征伐の歴史的事実に説得力を持たせていて、やはり良く出来た小説だなと思った。

 

 

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読書「星降り山荘の殺人」倉知 淳

倉知淳さんの本格クローズドサークルミステリー。いやー、きれいに騙された。面白かったなぁ。

 

倉知淳さんは、最近のうちの奥様のお気に入り作家である。アンソロジー作品でそのお名前を知り、「シュークリームパニック」で完全に心をつかまれた。その後、私が別の作家のSF作品などで苦戦している間に「星降り山荘の殺人」「日曜の夜は出たくない」「死体で遊ぶな大人たち」と立て続けに作品を読んでは「ははははは」「え~!?」「やられたー!」などと独り言をつぶやいているのであった。なんだかわからないが、心底楽しんでいることはわかる。そして私も奥様に遅れること1か月、倉知さんの代表作の一つである本書を手に取ったのであった。96年発刊なので、ちょうど30年前の作品である。

 

主人公は、杉下和夫27歳。広告代理店に勤める若手サラリーマンである。嫌味な上司が後輩をネチネチ詰める様に激昂して上司を突き飛ばしてしまった、熱い男である。そのせいで広告制作の現場から異動となり、タレント文化人のマネージャーに任命される。そのタレント文化人こそが星園詩郎31歳。スターウォッチャーを自称する彼は、甘いマスクと、夜空の星に関するロマンチックな解説で世の女性たちを虜にしている。どちらかというと質実剛健タイプの和夫にとって、歯の浮くような台詞で女性人気を集める星園は眉をひそめざるを得ない存在であった。

 

和夫のマネージャーとしての最初の仕事は、星園と一緒に秩父にある山荘を訪れることだった。山荘を所有する不動産開発会社社長の依頼によるもので、女性人気の高い星園に集客のアイデアを出してほしいという。山荘に集まったのは、星園と和夫を除いて7人。不動産会社社長とその部下。若い女性に人気のある女流作家とそのマネージャー。UFO研究家。そして社長の個人的?つながりで訪れた女子大生二人。そこで最初の一晩を過ごした後、この社長が殺されているのが発見される。星園の振る舞いがあくまで演技であることを告白された和夫は彼を信頼し、二人で捜査を始めるのである。

 

形式としては古典的なクローズド・サークルミステリーなのだが、各章の冒頭に作者から一風変わったメッセージが挿入される。

 

まず本編の主人公が登場する

主人公は語り手でありいわばワトソン役

つまり全ての情報を読者と共有する立場であり

事件の犯人ではあり得ない

 

あらかじめミステリの型通りに進めますよと読者に宣言してしまうのである。こういうのを、メタミステリというのだろうか。読者に取っては親切だが、作者にとってはタネも仕掛もありませんよ、と宣言することになり、ハードルが上がりそうな書き方ではある。ひとまず、フェアなミステリであるという印象を抱くのは間違いない。

 

これまで読んだ倉地さんの作品はどれも笑いの要素が強いものだった。本書はその点やや控えめかもしれない。しかし、星園の歯の浮くような台詞まわしと、彼を取り巻く、頭の軽い女子大生たち。やや狂信的なUFO研究家。そして成り金俗物オヤジなどなど。少々懐かしい感じの世相を切り取った描写は皮肉が効いていて存分に楽しめる。こういう人達、今はいないよなあ。

 

本書の醍醐味はやはり何といっても驚愕のラストなのだが、ネタバレを避けて書くのは難しいので一言だけ。「やられた」という感じである。全部提示されてるのにコロッと騙されるというか。こういうのがミステリを読む醍醐味なんだな。

 

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読書「地球帝国」アーサー・C・クラーク

土星の衛星・タイタンと、23世紀の地球を描くSF長編。まあまあ、面白かったのだけれど、読み終わるのに二週間もかかってしまった。

 

SF小説の巨匠・クラークの著作は「幼年期の終わり」だけ読んだ。地球人に対して、知性・技術・体格など全ての面で絶対的な優位性を持つ「オーバーロード」という異星人が地球にやってくる。そして、圧倒的な力の差から、争うことなく平和的に支配された世界を描くという、静かながら刺激的な作品であった。その後「宇宙のランデヴー」も読みかけたが挫折した。詩的で深遠な雰囲気を感じさせるハードSFだが、エンタメ性が低くて読み通すのに苦労する、というのが私のクラークの作品に対するイメージである。眠くて最後まで観通せたことがない映画「2001年宇宙への旅」の原作者であることも、このイメージに一役買っている。小説は読んだことないけど。でも、たまに難しいものに触れてみたいというか、自分が理解しづらいものを理解できるようになりたいという、何ていうのだろうか、向上心?みたいなものから、また挑戦してみようとは常々思っていたのである。

 

というような経緯から、2年前に古本屋で手に取ったのが本書であった。これと決めて買ったわけではなく、たまたまその時棚に並んでいたクラークの作品の中で、何となく厚すぎないものを、ということでふらっと買ったのである。

 

前置きが長くなった。

 

主人公は、ダンカン・マケンジー。土星の衛星・タイタンに住む三十そこそこの男性である。彼の祖父・マルカム・マケンジーは商才に長けた人物であった。タイタンに豊富に存在する水素が、惑星間航行の核融合エネルギーに必要となることにいち早く目をつけ、一財産を成したのである。しかし、マルカムは宇宙空間をさまよう微粒子の影響で、健康体の子供が作れない体となる。そこでマルカムは、地球の遺伝子学者に頼んで、自らの子をクローンとして作ることにした。つまり主人公ダンカンは、名門マケンジー一族の三世ではあるものの、マルカムのクローンである父のコリンの、そのまたクローンとして産まれた子供である。同じ遺伝子を持つマルカム、コリン、ダンカンの3人は年が違うだけで考え方も感じ方もそっくりなのであった。

 

そんなクローン三世のダンカンが、二つの大きな目的を持って地球を訪れる。一つは、合衆国建国500年祭にタイタンを代表して出席し、スピーチを行うこと。もう一つは、自らのクローンを作りに、遺伝学者を訪ねることであった。

 

序盤は、物語の背景説明と共に描かれるタイタンや土星の様子が魅力的だ。

 

いまホーバースレッドは、淡いサファイアから濃い藍色にいたる、ありとあらゆる青の色調に彩られた美しいアンモニアの崖に挟まれた、狭い谷を下っていた。

 

現実世界でタイタンの地表に探査機が降り立ったのは、2005年らしい。この小説は、1975年に書かれているので、この描写はクラークの想像によるものだ。なんとも美しく雄大である。アンモニアって青いの?と思ってウィキペディアべてみたけど、無色だとか。まあ、水も無色だけど海は青いし、何らかの根拠をもって書かれているのだろうと思う。

 

既知の宇宙のどこを探しても、彼がいま見ている奇観にくらべられるものはなかった。地球の空に浮かぶ月の一〇〇倍もある扁平な黄色い球面は、まるで惑星気象学の実物教育のように見えた。

 

普段厚い雲に覆われているので、タイタンの地表から土星は見えないそうだ。これは、ダンカンが宇宙船に乗り、大気圏を抜けた先に見た光景である。地球から月を見るのと違って、タイタンの近くから見る土星はとんでもなく大きいのだ。言われて見ると当たり前だけど、想像してみるとなんとも幻想的だ。

 

そして後半、地球に降り立ったダンカンには、23世紀の地球ツアーが待っている。地球の重力に苦しみ、初めて見る青い空に不安な気持ちになる。タイタンで生まれ育った彼にとって、地球は必ずしも落ち着けるところではない。それでも、ハチミツの美味しさに感銘を受けたり、美しい海でシュノーケルをつけてバタ足で不器用に泳ぎながらサンゴ礁を見学したりと、なんだかんだと地球を満喫する。なんとなく微笑ましいのである。

 

もう一つ書いておきたいのは作中出てくる「ペントミノ」のこと。五つの正方形をつなげた12種類のブロックを、長方形のケースの中に納めるパズルゲームである。これの正方形四つのものはテトロミノと言い、コンピュータゲームのテトリスでお馴染みである。ダンカンが子どものころ、数学者の「エレンばあちゃま」からこのパズルをもらい、その奥深さに夢中になるシーンがある。このペントミノ、私も子どもの頃、家にあって、ずいぶんハマっていた。久しぶりに思い出して懐かしさに震えたのである。あと、これがペントミノという名前であることは初めて知った。うちには子供がいないのでわからないが、最近の子供も、ペントミノで遊んだりするのだろうか?

 

終盤にさしかかってから、緊張感のある展開になってくるが、そこまではゆったりした展開でタイタンを、宇宙を、そして未来の地球の描写を味わう作品と言ってもいい気がする。そんなに高尚で深淵という感じはないし、難解でもないけど、まあ、読んでると眠たくなるのは間違いないのであった。そんなこんなで読むのに時間がかかってしまったが、素朴で暖かみがあり、結構好きな作品である。また別の作品も読んでみようかな。

 

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読書「やりなおし世界文学」津村記久子

津村記久子さんによる世界文学案内92本。ほんと面白かった。世界文学の名作なんて普段あまり読まないけど、またチャレンジしてみようかな。

ここ最近、自分が読んだ本の一覧をあらためて眺めてみると、日本人作家ばかり読んでいることに気が付いた。今年読んだ海外作品はエラリー・クイーンの「Yの悲劇」一冊のみ。翻訳ものが嫌いでは全然ないが、日本が舞台で登場人物が日本人の小説の方が、脳への負担がやはり少ない。なんとなく楽な方へ流れているのである。

 

ということで、たまには海外作品も読もうかなと漠然と思っていたところに、書店で本書が平積みされているのが目についた。津村記久子さんの小説はこれまで何冊か読んでいる。文章がすごく馴染むというかいつまでも読んでられそうな作品ばかりを書かれているので、その津村さんが書いた読書案内ならきっと面白いだろう。よし、これを読んで面白そうな海外文学をピックアップしよう。

 

で、読んでみたらやっぱり面白かったのである。

 

まず、津村さんは芥川賞他いくつもの文学賞を受賞していて、著作も20冊以上あってと明らかに一流作家なのであるが、その腰は非常に低い。「もういいかげん、ギャツビーのことを知る潮時が来たようだ」という、裏表紙の紹介文に記載されている言葉に象徴されるように、「華麗なるギャツビー」みたいな有名な小説を読まないまま小説家になってしまってすみません・・・みたいなスタンスで貫かれているのである。

 

中学生の時は文学少女みたいに思われていたのだが、実際のところはそうでもなかった。活字というとライトノベルばかり読んでいたし、小説よりは友達が貸してくれる『少年アシベ』とかのほうが楽しみだった。文学が好き、というよりは、単に娯楽として本が読めるというだけだった。

 

いやいや、おそらく一般人基準でみると、相当な文学少女だったはずである。ただ、私も子供のころは本より漫画とかゲームとかの方が好きだったので、こういう文を読むと、ああ、意外と自分たちと同じ感覚なんだなと親しみは沸く。そして、「娯楽として」本を読むというのもまた、本書を通じたスタンスであると思う。世界の名作文学というと、少々高尚な、一段高いところにあるもののような気がしてしまうのだが、津村さんは小難しいことを書くでもなく、漫画やドラマの感想を書くのと同じような感じで、極めて楽しそうに感想を、そして時にはツッコミを書いていく。

 

『響きと怒り』ウィリアム・フォークナー に対して

タイトルの荘厳さもあって、どんな大河なのか、どんなに壮大な家族の歴史の話なのか、とおののきながら読むのだが、次第にわきあがってくるのは、「知らんがな」という身もふたもない実感である。

 

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』ジェームズ・M・ケイン に対して

DQNの小説である。いわゆるネットスラングで言うところの。死語なのだが、この表現がやっぱりしっくりくる。

 

津村さん、おもろいわー、などと、思わず似非関西弁を心に唱えてしまった。

 

小説家の津村さんが、同業者目線で文学作品を読んだ感想が書かれているのも興味深い。例えば、『遠い声、遠い部屋』トルーマン・カポーティ に対して

ある子供の思春期の出口に起こったすべてを書こうとすると、こういう小説になったんじゃないのかと思った。軽く寒気がした。小説が書けるということはこういうことなんじゃないかと、みじめになるぐらい今さら考えた。

こういう感想は、プロの作家にしか出てこないよなー、と感心した。

 

あと、自分もブログに読書感想文めいたものを投稿するようになって1年半くらいにはなるので、僭越ながら書き手目線で、本書を読んで参考になったこともある。

 

読書感想文を書いていて、いつも難しいなと思っているのが、本の内容の説明と自分の感想のバランスである。自分が感じたことを、この本を読んでいない人に伝えようと思うと、説明すべきことの連鎖が起きて長くなりすぎるというか、収集がつかなくなる。

 

津村さんの感想を読んでいて参考になったのは、意外と説明を大胆に省略しても、言いたいことというか気持ちが乗っていると伝わるということである。津村さんの感想からは、作品から本当に多様なものを感じ取り、考えていることがわかる。一本当たりのページ数は4~5ページ程度と少ないので、全てを説明しているわけではないのに、やはり、そこを存分に書くことで面白い感想文となり、引いてはその本の魅力を伝えることになるのだなと思った。自分も説明不足を恐れずに、思ったことを書いて行けたら良いなと思う。まあ、プロの技があるからこういう省略が成り立っている側面もあるだろうから、下手に素人がやると全く伝わらない文章になるかもしれないけど。

 

さて、本書自体がとても面白かったのではあるが、もともとは次の読書につなげるために読んだのであった。何を読もうかな。津村さんの感想を読んでいると、どの作品もそれぞれ面白そうで読んでみたくなるのだが、やはり歯ごたえありすぎそうな作品はしり込みしてしまう。(ちなみに、挫折しかかった作品も津村さんは正直に書いている)。中年だし、無理は禁物だ。

 

ということで、自分なりにピックアップしたのがこの五冊。ちょっとずつ読んでいきたい。

  • ジェイン・オースティン「ノーサンガー・アビー」
  • トルーマン・カポーティ「遠い声 遠い部屋」
  • J・G・バラード「ハイ・ライズ」
  • R・A・ラファティ「九百人のお祖母さん」
  • ハラルト・シュテンプケ「鼻行類」

 

 

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読書「遠くまで歩く」柴崎友香

コロナ渦のころを舞台に、作者本人を思わせる小説家が主人公となる長編小説。時の移ろいに対して心を動かされる様を丁寧に掬い取る。ちょっと長く感じたけれど、歴史好き中年の私には、心に響く作品であった。

 

遠くまで歩く

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柴崎友香の作品を読むのは「続きと始まり」「百年と一日」に続いて三作目。すっかり私のお気に入り作家の一人となった。

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コロナ禍が続く2021年。小説家の森木ヤマネは、編集者から、単行本未収録の短編集を作りたいという申し出を受ける。しかし、とある雑誌の近況欄で言及した「五分だけの散歩」という短編のことを、自分で書いたはずなのにどうしても思い出すことができない。

そんな中、ヤマネは知り合いの映画監督より、彼が主催する生涯学習講座へのゲスト参加を依頼される。元は映画製作講座をやっていたが、コロナのために対面開催が難しくなった。そこで、「地図を作る教室」をやっていた大学教授との共同開催で、自分の思い出深い場所をテーマに映像作品を作るという講座をオンラインで開催することにした。何回か開催した後、文章も入れてみたら面白いだろうというアイデアから、小説家のヤマネに参加してもらい、講評を加えてほしいという。企画に興味を覚えたヤマネは二つ返事で参加する。

 

森木ヤマネのモデルは、十中八九柴崎友香さんご本人だろう。小説は、上で書いた講座の描写が中心となる。ZoomのようなWeb会議形式で、参加者たちが制作した作品の発表があり、それに対してヤマネたち講師陣が様々なコメントを加える。参加者は老若男女さまざま。講座は九月、十月、十一月と続き、それぞれが一つの章に対応する。

 

小説としては、非常に珍しい形式である。というか、こんな小説を読んだことはない。はじめは最後まで読み通せるかちょっと心配になった。発表される作品は、基本的に写真等の視覚的なものであり、文章でこれを説明されてもあまりピンとこないのである。前半は、読むのに時間がかかった。

 

ただ、途中からヤマネの発案で、作品に文章もをつけてみようということになる。そこから、各作品は「百年と一日」で読んだような、ちょっとした短編小説のような趣になる。柴崎さんのほかの作品同様、明確なオチのあるストーリーではないが、発表者それぞれが語る物語にぐっと引き込まれる。それは例えば、自身が産まれる前に亡くなった叔父の物語であったり、子供の成長を見つめる親の物語であったり、祖父の家になぜか置いてあったギターの物語であったりする。

 

ラスト付近、ヤマネと、講座の受講者たち連れだって、玉川上水の遊歩道を歩くシーンでの、ヤマネの独白を引用する

今までに何人の人がこの道をこんなふうに話しながら歩いていっただろう、とヤマネは考えていた。話した声はそのときのその場で消えて、大半は録音も記録もされていなくて、誰かの記憶には残っているかもしれないが、それもまたそれほど長い時間残るわけではない。

 

場所と、そこにまつわる人々の物語は、過去まで含めるとそれこそ無限にあるはずで、その中で残っているのは記録とだれかの記憶に残っているほんの一部だけ。私も最近、歴史散歩と称して、東京、神奈川あたりで歴史を感じられるスポットを散策したりするのだが、その場所に行って、そこに生きた人々を想像するのは限りなく楽しいのである。また、特別な歴史スポットだけでなく、近所をほんの少し散歩するだけでも、数十年前から建っているであろう古い家屋や、古びた階段などに出くわす。こういった身近な場所も想像力を掻き立てられる。本書を読んでいると、こういった散歩のときの発見と想像の楽しさのようなものを味わえた。

 

 

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読書「占」木内昇

木内昇さんによる、占いにまつわる七本の連作短編集。占いでドツボにはまる人、あれよあれよと人気占い師になってしまう人。大正を舞台に、少々皮肉なユーモアと幻想を交えて描く面白い小説だった。

占

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木内昇さんの作品を読むのは、「よこまち余話」に次いで二作目。

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「よこまち余話」は、明治か大正あたりのころの、ちょっと幻想小説風味の作品でとっても好みの作品だった。本書も少しテイストは違うが、好きな作品である。

一本目の「時追町の卜い家」のみ少し詳しく紹介する。

 

時代は大正の末頃。主人公は、英語の翻訳で生計を立てる三十代の女性、桐子。当時としては珍しい、経済的に自立した女性である。家の修繕に来た大工の男と仲良くなり、いつしか恋仲のようになる。しかし、この男には生き別れになった妹がいて、桐子と会うと妹のことばかりを話す。はじめは励ましていた桐子も、そのうち自分より妹のことばかりに気に掛ける男に不満を抱くようになる。しかし、男には全く悪気は見られず、桐子のことを好いているようにも見える。桐子は、ふとした気まぐれで訪れた占い家で、男の気持ちを占い師に聞いてみるのだった。

 

桐子が、男性と直接会話をするのではなく占い師に聞いてみるという手段をとったのはなんとなく理解できる。知りたいけれど、直接聞くのは気持ちに負担が大きい。ほんの気休めでいいので、聞いてみたいというのが最初の動機だったのだろう。現代ならAIチャットに聞いてみているところだろう。しかし、そこで、いい回答をもらえて気持ちが楽になってしまったのが不幸であった。

 

一時的に気分は晴れるが、しばらくたつとまた男への不信感が湧いてくる。そしてまた占いに足を運んでしまう。いつしか桐子は、自分の望む答えが出るまで占い師を訪れ続けるようになっていく・・・

桐子は、明らかにインテリだし、賢くて理性的な女性だが、そんな人であってもふとした拍子で占いにはまりこんでいく心理が怖くもあり、興味深くもある。

 

他六本も、占いと一言でいってもバラエティに富んでいる。

例えば、二本目の「山伏村の千里眼」は、田舎から出てきた地味な女性が、あれよあれよと人気占い師になっていく様を描いた作品だし、三本目の「屯田町の聞奇館」は、家庭教師の祖父の写真をみてすっかりファンになってしまった女学生が、口寄せでその祖父と会話をするという話である。ちょっと滑稽な話も、幻想風味な話もあって、楽しめる。

 

まだ二作しか読んでいないけど、木内昇さんは明らかに自分好みの作風だな。ほかの作品も読んでいきたい。

 

余談だが、私は占いに全く興味が持てないでいる。星座、血液型、手相などなど全て。特に血液型の話は飲み会等で幾度も繰り返されるのを聞いてきたが、各血液型の特性や、血液型同士の相性など、何度聞いても覚えられないのであった。世の中の人全てが、この四分類が及ぼす性格への影響を信じているとは思わないが、これまで会った大抵の人々が血液型の会話で盛り上がれることは軽い驚きである。単純に会話を円滑にするための大人の嗜みとして覚えておくべきことなのだろうか。まあ、もう50を過ぎてしまったし、今更覚えられるとも思えないが。

 

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読書「シュークリーム・パニック Wクリーム」倉知淳

倉知淳さんによるユーモアミステリー短編集。「呑気で明るい本を書こうとしました」という作者の言葉通り、気楽に読めてとっても笑える作品だった。

 

倉知淳さんのことは、以前読んだこちらのアンソロジーで知った。収録されていたのは、「Aカップの男たち」という作品で、ブラジャーをつけることが趣味の紳士たちが集まるオフ会で、鉄で作った特注ブラジャーの鍵がなくなってしまい、誰が隠したのか推理するという、とんでもなくバカバカしく楽しいミステリ作品であった。

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私ももちろん楽しく読んだのだが、それ以上に奥様がはまってしまい、倉淳先生の作品をもっと読みたいと借りてきたのが本作「シュークリーム・パニック Wクリーム」なのである。3本の短編集なので、それぞれ感想を書く。

 

限定販売特性濃厚プレミアムシュークリーム事件

会社の健康診断で、メタボリック症候群の恐れを指摘された四谷博之は、妻が勝手に申し込んだ二泊三日のメタボ解消セミナーに参加する。いざ現地に行ってみると、そこには四谷とともに腹の出た三人の中年男と、やたらハイテンションでまくし立てる怪しげなインストラクターがいた。開始早々、3日間の絶食を言い渡された四人の参加者は、不満の声を上げつつも、山奥のセミナールームで食料を買うこともできず、しぶしぶそれに従うのであった。翌日、極限まで空腹感が高まった四人の前に、怒り狂ったインストラクターが怒鳴りこんでくる。冷蔵庫に入れて、後で食べようとしていた特性濃厚プレミアムシュークリームがなくなっているという。この中に盗んだ奴がいるはずだと手荷物検査を強要しようとするインストラクターと、反発する参加者たち。そんな中、ミステリ小説好きの四谷がこの事件の真相を暴こうとする。

 

あらすじだけ読んでもこの面白さは伝わらないと思うが、滅茶苦茶な論理で切れ散らかすインストラクターといい、腹の出た中年男たちのとぼけた会話といい、爆笑必至である。緻密な推理と意外などんでん返しもあり、個人的にはかなりレベルの高いミステリーだと思っている。

 

通い猫ぐるぐる

会社員の女性、真紀の家には、夜になるとうずまき模様の猫がやってくる。猫好きの真紀は、えさを上げたり撫でまわしたりして可愛がっていたが、遅くなると、どこかへ帰っていくのであった。しかし、半年ほどたったころから、猫は帰らなくなり、完全に真紀の家に居つくようになってしまった。そんな中、真紀の部屋を訪れた恋人で刑事の満久が、この猫を見て驚く。実はこの猫、殺人未遂事件が発生した家の飼い猫であり、事件の真相を解く鍵としてちょうど捜索されていたのである。

こちらは、爆笑とは言わないけれど、かわいい猫の描写に、にんまりさせられる作品である。猫に隠された秘密も、なるほど猫ならではのもので、猫好きならきっと楽しめる作品であった。

 

名探偵南郷九条の失策

小説家の「草まんじゅう」こと鈴木の元に、怪盗ジャスティスから《五少女の微笑》を奪いに来ると、予告状が届く。《五少女の微笑》とは、アニメ『制服魔導少女隊!ななみ♡マジカル』のキャラクター原案を担当した漫画家による直筆のイラストが描かれた色紙であった。メインキャラ五人の声優によるサインまで入ったそれは、鈴木がオークションで二百万円で競り落としたものだった。鈴木は警察に護衛を依頼するものの、今一つ色紙の価値がピンとこない警察の上層部は、鈴木の家に亀井警部一人のみ差し向けただけだった。鈴木は、名探偵と評判の高い南郷九条も呼んで色紙を死守しようとするが・・・。

これまた、とってもくだらなくて面白いミステリーで大いに楽しめた。意表をついたラストも私はぎりぎりフェアだと思う。

 

まあ、そんな感じで至って肩の凝らない娯楽ミステリーであった。これを読んでいる間は、面倒な仕事のことなどもコロリと忘れていられるのである。

 

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