門井慶喜さんの歴史小説。明治時代の東京が舞台で、主役は日本近代建築の父と呼ばれる、辰野金吾。とても面白かった。
明治16年。イギリス留学から帰朝した辰野金吾は、鹿鳴館の建築現場を訪れた。師匠であるジョサイア・コンドルに会うためである。再会を喜び、建築中の鹿鳴館の足場に登る二人。まだ江戸の面影を残す東京を眺めながら、金吾はコンドルに語る。このままでは日本はほろびてしまう、列強に占領される。内濠も外濠も埋め立て、人があつまる東京を作るのだと。日本を愛し、美観を大切にするコンドルはこれに猛反論をするのであった。
門井慶喜さんの小説を読むのはこれで三冊目。「東京帝大叡古教授」「銀河鉄道の父」ときて本作である。いずれも明治から昭和初期くらいの近代を舞台にしているが、いずれも歴史物・時代物に特有の難しさがなく読みやすい。本作もその特徴どおり、クセのない文章でするする読める。
本作の一番の魅力は、主人公である辰野金吾の人物造形だと思う。一言でいうと直情型。行動だけ見ると、かなりの野心家で少々えげつないこともやっているのだけれど、腹黒い感じが全くなく憎めないのである。
金吾が名をあげるきっかけとなった日本銀行の仕事を得るために、内閣総理大臣・伊藤博文の前で大演説をする場面は本書のハイライトだと思う。この仕事、師匠であるジョサイア・コンドルに決まっていたのを、金吾が強奪したのである。師匠を裏切る罪悪感に胸を痛めつつ、日銀は日本人が建てなきゃだめなんだと力説する金吾の必死さと、そこから醸し出される少々の滑稽味。これは嫌いにはなれない。
そして、この仕事を取るためになりふり構わぬ根性は、自分には決してマネできないな、とも感じる。まず師匠に遠慮してしまうだろうし、こんな大きな仕事、失敗したらどうしようという心配が先に立ちそうだ。大きいことを成し遂げられる人というのは、こういうところが違うのだろうなと、小者のサラリーマンとしては思った次第である。
作中いくつかはさまれる、東京のなりたちに関する知識も楽しめる。私が一番興味深いと感じたのは、金吾が東京駅(当時は中央停車場)の駅舎を作る直前の日本の鉄道の姿である。
・新橋から横浜へ向かう官営の東海道線
・上野駅から北関東・東北へ向かう、民営の日本鉄道
・飯田町(今の飯田橋)から八王子・甲府へ向かう、民営の甲武鉄道
・両国橋(今の両国)から千葉方面へ向かう、民営の総武鉄道
この間が分断されていて不便だったので、つなぐために丸の内に東京駅を作ることにしたのだとか。現代の東京の路線図を思い浮かべればなるほど納得である。
こういった時代背景の説明が、門井さんは抜群にうまいと感じる。わかりやすくするために少し単純化しているのかもしれないが、スッと頭に入ってくる感じである。
本書の第一章のタイトルは「六歳児」。近代化が始まったばかりで、何もかもが未成熟な日本の状況を指してそう表現している。そういった時代、建築家として国を作りなおすことに使命感を燃やした辰野金吾の死に際して、最終章では息子である辰野隆(高名なフランス文学者だとか)は疑問を挟む。
おやじは・・・・・・ほんとに建築っていう仕事が好きだったのかな
自分が好きなことをやる人生と、何かのために自分を役立てる人生、私にとってはどっちが望ましいだろうかとちょっとだけ考えてみた。
半々が一番いいんじゃないかな、中庸こそ至高、という小者サラリーマンらしい結論にたどり着いた。
↓よかったらクリックお願いいたします。
