17世紀の江戸時代、吉原の女将の一生を描く、朝井まかてさんの時代小説。序盤は少々退屈に感じたが、途中からぐっと引き込まれ、最後は感動。素晴らしい作品だった。
徳川家康の死去から1年たった、元和3年(1617)。吉原の大見世・大西屋の女将、花仍(かよ)は、子供の時分露頭に迷っていたところを拾われた孤児であった。亭主の庄司甚右衛門は吉原の顔役で、江戸のあちこちに散らばっていた傾城屋(女郎屋)を一か所にまとめ、吉原の町を作った男である。この度、十二年越しの訴えが通り、吉原は御公儀より売色御免、つまり売色の独占権を得ることに成功した。念願がかない歓喜に沸く吉原だったが、それから一か月もたたないうちに奉行からの呼び出しがあった。それは、江戸市中への遊女の派遣を禁じるお達しであった。
本書を読むきっかけは、NHK大河ドラマの「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」である。私はこのドラマが好きで毎週欠かさず(といっても録画で1週間程度の遅延をおいて)見ている。そこで、同じ吉原が舞台の小説でもないかなと思って手に取ったのである。
蔦屋重三郎は18世紀後半の人なので、本書はその150年くらい前の時代を描いている。物語冒頭の時点では、いわゆる「元吉原」、現在でいうと日本橋人形町のあたりが舞台である。蔦重の時代の「新吉原」に移ってきたは、1657年の明暦の大火の後だが、本書はその移転も物語に含んでいる。吉原の成り立ちや、新吉原への移転の経緯など小説の登場人物の目を通してわかりやすく表現される。私のような素人歴史好きにはとってもありがたい。
本書の主人公は、大西屋という傾城屋(けいせいや)の女将、花仍である。傾城屋というのは、遊女を置くお店のことで、女郎屋と同じ意味である。女色に溺れて国政を疎かにする君主の話は中国の古典などで良く出てくるが、「城を傾ける店」というのもなかなか皮肉が利いている。
序盤は、この花仍のキャラクターが中途半端に感じてあまりページが進まなかった。
本書の冒頭で、花仍は、傾城屋のライバルである女歌舞伎の連中に因縁をつけられるが、身に着けていた剣術で大立ち回りを演じでこれを撃退する。そして、子供のころからやんちゃで「鬼花仍」と呼ばれて散々悪さをしてきたと明かされる。
この女丈夫を主人公とした痛快活劇になっていくのかな?と思って読んでいくのだが、そこはあてが外れる。ここから先、花仍が剣術で大活躍するような場面は一切出てこない。それどころか、どうも本業の女将業の方は半人前で、あまり気が利く方ではないらしい。女郎たちからは外での威勢の良さとのギャップを笑われたり、槍手婆(やりてばば)であるトラ婆に、ことあるごとに小言を言われたりしている。
まあ、なんというか主人公があまり活躍せず、周りに助けられてばかりなので、今一つ物語にのめりこめないのである。
しかし、中盤くらいでショッキングな出来事があり、そこから徐々に引き込まれていく。詳しい内容は控えるが、結局のところ吉原が色を売る場所で、人身売買の組織であることを突き付けられるのである。花仍はとても良心的な人で、いつも女郎や周りの人達の幸福を考えて行動するのだが、それが必ずしも良い結果に結び付くとは限らない。結果的に後悔の念が年を取るごとに増えていく。
そして、吉原の人々が弱い立場にあることも、ことあるごとに意識させられる。幕府公認とはいえ色街であり、江戸市中からは区別され、蔑みの対象となる。大奥からの目も当然厳しい。そして、時の政権の都合にいやが上にも振り回され、後付けのルールを押し付けられてしまう。
ただ、吉原の人々は逆境に強い。無理難題を突き付けられながらも、なんだかんだと知恵を絞ってそれに対処していく。そういった中で花仍も成長していく。決して器用とは言えず、また何か秀でた才能を持っているとも言えない女性が、いくつもの壁に当たりながら女将の仕事を全うしていくのである。
物語の最後は、冒頭から56年後の1673年。ここまで積み上げてきたエピソードを胸に抱えて至るラストには、涙をこぼさざるを得なかった。花仍はあくまで小説の中の架空の人物だと思うが、吉原の歴史の礎となったのはこういう女性だったのかもしれないと思わせるリアリティが確かにあると思う。
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