課長風月

疲れたサラリーマンの憩いのひと時

読書「絞め殺しの樹」河崎秋子

昨年、「ともぐい」で直木賞を受賞された河崎秋子さんの作品。重かった。でもとっても良かった。

 

※以降、物語の核心にも触れるので未読の方はご注意ください。

 

昭和十年、新潟で暮らしていた十歳の少女・橋宮ミサエが、生まれ故郷である根室畜産農家に、奉公人としてもらわれる。奉公先農家の当主夫婦とその子供たちはミサエに辛く当たり過酷な労働を強いる。しかし、よく働き、勉学にも強い興味を示すミサエは、一部の心ある人々に支えられ、学校を出て薬局に勤め、知識を身に着けて自立する。やがて恩人に請われる形で根室に戻り、開拓保健婦として働くことになる。

 

序盤は往年の国民的朝ドラ「おしん」みたいな話かなぁと思って読んでいた。賢く心根のよい少女が、イヤな奴らに奉公人としてこき使われるが、やがて成功していく女の一代記。しかしその甘い予断は、中盤で脆くも崩れ去る。それも予想外の方向から。これは本当に読むのが辛いやつだ・・・

 

他人から何かを奪うことを何とも思わない人々に吸い尽くされ、打ちのめされる。もしかするとこの時代、女性たち、特に農村部の女性たちにとって、珍しいことではなかったのかもしれない。なぜ逃げないのか、とも思えるが、教育や就労環境が異なる令和の感覚とは異なるだろう。

 

「絞め殺しの樹」とは、菩提樹のことらしい。釈迦が悟りを開いた場所に生えていたと伝えられる聖樹だが、他の樹に取り付き、栄養を吸って成長する恐ろしい樹でもあると初めて知った。これが比喩するものは自明であろう。

 

第二部は、一転ミサエの息子である雄介の物語となり、ミサエの最期は雄介への伝聞という形で読者は知ることになる。これは本書の巧みなところで、ミサエは打ちのめされた後も、自暴自棄となることなく保健婦として立派に仕事をし続け、死ぬ直前まで職務を全うしていたことがわかる。その生き方は雄介に影響を与え、ミサエの人生が、価値あるものであったことを間接的に示すのだ。立派に育った雄介が、今後もあえて絞め殺しの樹の元で、根室に根を張って生きていくことを決意するラストは深く感動した。

 

自己犠牲を賛美する物語ではないと思っているし、令和の現代にお手本にできる生き方とも思わない。ただ、やはり厳しい時代と環境を生き抜きながら、他人に何かを与えて来たミサエのような人は、尊敬すべきだと思う。