このブログを始める前からゆっくりまったり読み続けてきたアイザック・アシモフのSF巨編、ファウンデーションシリーズの5番目、「ファウンデーションと地球」を読了した。長いシリーズを読んできた読者に対するご褒美のような作品であった。
このブログでファウンデーションについて書くのは初めてなので、このシリーズ全体について書いてから、最後にちょこっと「ファウンデーションと地球 」の感想を書く。
まず、「ファウンデーション」に私が興味を持ったきっかけは、3年前くらい前に読んだ中国SF「三体」の中で「セルダン・プラン」や「心理歴史学」といったファウンデーションシリーズのキーワードに触れられていたことである。何のことかはわからなかったものの、おそらくSFファンの間で常識となっている事項であることは想像がついた。私はもっとSFを深く楽しめるようになりたかったので、一般教養的な感覚で、まずは初期の3部作を読んでみたのである。
ハリ・セルダンという天才科学者が、心理歴史学という、数学的に人類の未来を予測する学問を確立する。そして銀河帝国の滅亡と、その後数万年の暗黒時代を予測する。その暗黒時代を短くするために「ファウンデーション」を設立する。という壮大な物語であった。
読んでみた感想は・・・それなりに面白かったけど、いかんせん1950年代の作品でありちょっと古いなぁというものであった。もちろん後世のSF作品に絶大な影響を与えた偉大な作品なのだろうけど。古典というのはそういうものなんだろうな。
しかし、この初期3部作を読みつつネット上の感想などをあさっていくと、実は後続の4作目以降が書かれたのは30年後の1980年代だということが分かった。さらに、アシモフの別シリーズであるロボットシリーズと統合されることもわかった。
つまり、この先を100%楽しむためにはまずロボットシリーズを読まなければならない。先が長くなりそうなので少々悩んだが、ひとまずロボットシリーズの下の2作を読んでみた。
- 鋼鉄都市
- はだかの太陽
これも1950年代の作品だが、これは今でも素直に面白い。SFとミステリの融合で、人間の刑事イライジャ・ベイリとロボットであるRダニール・オリヴォーのバディものでもある。不屈の精神を持つ叩き上げの刑事だが、ロボット嫌いなベイリと、人間と見分けがつかない精巧なロボットで頭脳明晰沈着冷静・感情を持たないといいながらもどこか暖かみを感じるダニール。彼らが徐々にお互い信頼しあっていく過程がなんともいいのである。
なお、ベイリは地球人だがダニールは「宇宙人(スペーサー)」が開発したロボットという設定である。この時地球は80億の人口が「鋼鉄都市」と呼ばれる巨大な屋内都市に暮らしており、住民はみんな外出恐怖症にかかっている。そして、宇宙に植民したかつての地球人であるスペーサーに科学技術で圧倒され、支配を受けているというディストピアな世界観である。
上記はロボットシリーズの長編ものだが、その後短編集もあることがわかり、読んでみた。
- われはロボット
- ロボットの時代
こちらは大いに気に入った。大好きといってよい作品だ。ロボットシリーズの長編と短編は物語として直接のつながりはないものの、かの有名な「ロボット工学三原則」で同じ世界観を共有していることがわかる。長編はシリアスだが、短編はコメディタッチで、ちょっと間抜けなロボットたちが愛らしい。ロボット心理学者・スーザン・キャルヴィンのちょっと偏屈なキャラも楽しい。このあたりで、はっきりとアシモフ作品の魅力にはまってきた。
このあと、一旦ロボットシリーズは中断して、ファウンデーションシリーズの前史である以下の作品を読むことにした。銀河帝国の成立前の時期を描くスピンオフ「トランターもの」である。
- 宇宙の小石
- 暗黒星雲のかなたに
- 宇宙気流
この辺は・・・正直飛ばしてもよかったかもしれない。ネット上でファウンデーションシリーズの読み方、みたいなサイトを参考に手を出したのだが、話としてはそれぞれ独立しているし、すべて1950年代の作品で若干の古さは否めない。それでも「宇宙の小石」と「宇宙気流」はそこそこ楽しめるが「暗黒星雲のかなたに」は正直あまり出来が良いとは言えない。この辺でちょっと中だるみした。
その後、少し間をあけて、改めてロボットシリーズの続きをぽつぽつと読んでいく。
- 夜明けのロボット(上・下)
- ロボットと帝国(上・下)
この辺の作品は、1980年代にアシモフが、ロボットシリーズとファウンデーションシリーズの融合を意識し始めてから書いた作品である。別作品の世界観だと思っていた「心理歴史学」というワードが出てくることに、わくわくさせられる。
あと、前作の執筆から30年を経たことで、これ以前の作品に比べて格段に読みやすくなっていると感じた。ちなみに性愛についての大胆な記述が増えているのも80年代っぽいなという気がする(この点については、現代の作品の方がむしろ奥ゆかしい気がする。)
「夜明けのロボット」は、ベイリが出てくる最後の作品で、「ロボットと帝国」はベイリの死後160年後の作品となっている。ダニールは無感情のロボットであるにも関わらずベイリに対して、親愛の情と呼ぶ以外考えられないものを抱き続けている。そこの伝え方が見事な作品である。
なお、後続の執筆が1980年代まで飛んだ理由の一つとして、1970年代はアシモフはあまりSF小説を書いておらず、科学を年若い読者向けに解説する読み物の執筆に情熱を燃やしていたそうだ。私も一冊、下の本を読んでみたことがあるが、さすが大作家というべきか、わかりやすく面白くためになる本だった
これで、ロボットシリーズは残らず読んだことになるので、満を持してファウンデーションシリーズの4以降に取り掛かった。
4と5は、登場人物が同じ続きものであり、1つの作品と捉えても良いと思う。トレヴィスというファウンデーションの議員と、ペロラットという初老の歴史学者が、人類発祥の星と言われる「地球」を探す旅である。
実は4を読んでから、今回5を手に取るまでに、9か月ほど時間を空けてしまった。この間、自分の中での興味がSFから歴史や日本美術へと移っていたこともあり、つい伸ばし伸ばしにしていたのだ。長いシリーズはやはりある程度一気にいかないだめだなぁ。
時はベイリとダニールの時代から、2万年を経ている。ファウンデーションにおいて、地球の存在は神話や迷信の類と同一視されており、その存在はペロラットなどの一部の学者を除いて誰にも信じられていない。(そして、ペロラットはファウンデーションにおいては、学者として全く評価されていない)
トレヴィスとペロラット、そして4の最後から仲間に加わったガイアのブリスはかつてのスペーサーたちの世界をたどりながら、少しずつ真相に近づいていく。
5のタイトルからも、最後に地球に辿りつくことはわかっており、ロボットシリーズとの融合という前情報がある以上、ベイリやダニールの痕跡が何等か見つかることは前もって予想はついていた。でもその後2万年という途方もない時間を経た結果に・・・泣いた。思わず涙した。このために長いシリーズがあったのだ。読んでいてよかった。
さて、ファウンデーションシリーズの残り6,7は未読だが、どうやら時系列では5の後ではなく昔に戻るようだ。
7がアシモフの遺作であり、5の未来の話はもう読めないのだ。どことなく、続きを匂わせるような内容ではあったので寂しい気もするが、まずは6,7を読んでみよう。
最後に、このファウンデーション&ロボットシリーズ、もちろん面白いし自分はとても好きな作品だけれど、2025年現在において、手放しで人に薦めようとは思わない。現代のエンタメ系小説はもっと展開も早く刺激が強い。ファウンデーションは割とゆっくりまったりしているし、長いので読み通すには根気が必要だ。特に序盤は。
長いシリーズを読んできて愛着が湧いていることもあり、薦めても気に入ってもらえなかったらいやだなぁという気持ちが先に立つ。でも、自分は好きです。特にダニールが。


