古地図と現代の地図を見比べて、江戸から続く東京のなりたちを明らかにする読み物。とっても面白かった。
実は最近、江戸時代の地図を見ながらの東京散歩にはまっている。先週は築地~佃島・石川島~八丁堀。先々週は根岸~谷中。その前は芝~汐留。その前は巣鴨~王子。毎週末テーマを決めて散歩している。ちょっと歴史を調べるだけで、散歩がこんなにも楽しくなるとは思わなかった。ここ最近、週末になるのが待ちきれないくらいである。
ちなみに、夏真っ盛りの炎天下の散歩に奥様は付き合わせるわけにもいかず、また友人もたいしていないのでいつも一人で行っている。まあ、この散歩は一見何でもないオフィス街を延々と歩き続けることになりがちなので、誰かに付き合ってもらおうとはあまり思わない。誰に気を使うでもなく自分勝手に歩き回って勝手に楽しむのが良いのである。
さて、本書は先週末の東京散歩の帰りがけに立ち寄った書店で購入したものである。帯に書かれた「この坂、崖、川はいつから「ここ」にあるのか?」の一文にぐっと惹かれ、パラパラとめくってみると目に飛び込んできたのがカラフルな古地図の数々。サイズも適切で、地図が鮮明。また、地図内につけられた注釈もわかりやすい。これは買わねばなるまい。図書館派の自分には珍しく、迷うことなくレジに向かったのである。
「一、水道橋」「二、丸の内・日比谷」「三、神保町」・・・といった感じで前二十二章。一つの章ごとに、東京の地域を選び、時代の異なる三つの古地図と、一つの現代地図が掲載され、見比べながら文章を読み進めることになる。
一つの地域で四つも地図を掲載していることが新鮮だった。私はこれの他にも2冊ばかり古地図江戸散歩の本を読んだが、そこで掲載されていたのはいずれも江戸時代末期、十九世紀に作られた「尾張屋版切絵図」であった。これはこれで面白いのだが、本書ではこの切絵図は出てこない。
地域毎に使用する地図の選択はまちまちだが、比較的多く使われている古地図が以下の三つである。
2.「明暦江戸大絵図」明暦3年(1657)
3.「分間江戸大絵図 完」安政6年(1859)
つまり、江戸時代の初期と末期を比較することで、その成り立ちを時系列に沿って追うことができるのである。1と2は比較的時代が近いが、2は、明暦の大火の近辺で作られており、屋敷の移動や、希望地の張り紙など当時の様子が伝わる貴重な地図とのこと。
そして上の古地図との比較用に現代の地図が掲載されるが、普通の地図ではなく土地の高低差がグラデーションで表現されている。
江戸時代は水運が物流の中心だったこともあり、江戸の街中には多数の川および堀があった。現在はかなりの部分が埋め立てられてしまって当時を想像することが難しいのだが、高低差を見るとやはり川や堀があったところがくっきりと低地となり、かつての姿が可視化されるのである。
また、実際に東京の街中を歩いてみると、特に山の手の方は確かにかなり起伏が多い。XX坂と名前の付いた道もとても多く、平面的な地図を見ているだけだと気づかないことがたくさんある。本書は、その坂や崖といった起伏の部分を特に強調して解説しており、現在の東京のかつての姿を立体的に想像する手助けをしてくれる。
自分の東京散歩はただの素人の趣味だけれど、少なくともこの本を読んでぐっと解像度が上がった気がする。これまで散歩で訪れたことのある場所もない場所も、より深い理解が得られて、読んでいて興奮しっぱなしであった。
雑学的な小ネタも色々得ることができた。いくつかあげてみる。
- 赤坂のあたりに、「赤坂」という坂はない。なぜ赤坂という地名が付いたかは所説ありわかっていない
- 神田小川町は「おがわまち」と読む。神田神保町は「じんぼうちょう」。「まち」読みはもと武家地で、「ちょう」読みはもと町人地というのが基本。(必ずしもそうでないところもある)
- 深川にある堅川(たてかわ)は東西に流れ、大横川は南北に流れる。現在の地図だと北が上なので反対。これは、江戸城からみて縦か横かで決まっている。
- 東京駅東側の八重洲の地名の由来は、家康の外交顧問だったオランダ人「ヤン・ヨーステン」の屋敷があったから。でも、実は昭和に入るまで八重洲という地名は丸の内側にあった。
というわけで、大変面白い書籍であった。
ただ、ある程度東京の地理に馴染みがないと、本書を読んでもあまり面白みは感じられないかもしれない。あくまで一般の読者に向けて書かれた本だが、ネタは結構マニアックなので、本当に好きな人向けの書籍という感じがする。個人的には大ヒットです。
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