コロナ渦のころを舞台に、作者本人を思わせる小説家が主人公となる長編小説。時の移ろいに対して心を動かされる様を丁寧に掬い取る。ちょっと長く感じたけれど、歴史好き中年の私には、心に響く作品であった。
柴崎友香の作品を読むのは「続きと始まり」「百年と一日」に続いて三作目。すっかり私のお気に入り作家の一人となった。
コロナ禍が続く2021年。小説家の森木ヤマネは、編集者から、単行本未収録の短編集を作りたいという申し出を受ける。しかし、とある雑誌の近況欄で言及した「五分だけの散歩」という短編のことを、自分で書いたはずなのにどうしても思い出すことができない。
そんな中、ヤマネは知り合いの映画監督より、彼が主催する生涯学習講座へのゲスト参加を依頼される。元は映画製作講座をやっていたが、コロナのために対面開催が難しくなった。そこで、「地図を作る教室」をやっていた大学教授との共同開催で、自分の思い出深い場所をテーマに映像作品を作るという講座をオンラインで開催することにした。何回か開催した後、文章も入れてみたら面白いだろうというアイデアから、小説家のヤマネに参加してもらい、講評を加えてほしいという。企画に興味を覚えたヤマネは二つ返事で参加する。
森木ヤマネのモデルは、十中八九柴崎友香さんご本人だろう。小説は、上で書いた講座の描写が中心となる。ZoomのようなWeb会議形式で、参加者たちが制作した作品の発表があり、それに対してヤマネたち講師陣が様々なコメントを加える。参加者は老若男女さまざま。講座は九月、十月、十一月と続き、それぞれが一つの章に対応する。
小説としては、非常に珍しい形式である。というか、こんな小説を読んだことはない。はじめは最後まで読み通せるかちょっと心配になった。発表される作品は、基本的に写真等の視覚的なものであり、文章でこれを説明されてもあまりピンとこないのである。前半は、読むのに時間がかかった。
ただ、途中からヤマネの発案で、作品に文章もをつけてみようということになる。そこから、各作品は「百年と一日」で読んだような、ちょっとした短編小説のような趣になる。柴崎さんのほかの作品同様、明確なオチのあるストーリーではないが、発表者それぞれが語る物語にぐっと引き込まれる。それは例えば、自身が産まれる前に亡くなった叔父の物語であったり、子供の成長を見つめる親の物語であったり、祖父の家になぜか置いてあったギターの物語であったりする。
ラスト付近、ヤマネと、講座の受講者たち連れだって、玉川上水の遊歩道を歩くシーンでの、ヤマネの独白を引用する
今までに何人の人がこの道をこんなふうに話しながら歩いていっただろう、とヤマネは考えていた。話した声はそのときのその場で消えて、大半は録音も記録もされていなくて、誰かの記憶には残っているかもしれないが、それもまたそれほど長い時間残るわけではない。
場所と、そこにまつわる人々の物語は、過去まで含めるとそれこそ無限にあるはずで、その中で残っているのは記録とだれかの記憶に残っているほんの一部だけ。私も最近、歴史散歩と称して、東京、神奈川あたりで歴史を感じられるスポットを散策したりするのだが、その場所に行って、そこに生きた人々を想像するのは限りなく楽しいのである。また、特別な歴史スポットだけでなく、近所をほんの少し散歩するだけでも、数十年前から建っているであろう古い家屋や、古びた階段などに出くわす。こういった身近な場所も想像力を掻き立てられる。本書を読んでいると、こういった散歩のときの発見と想像の楽しさのようなものを味わえた。
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